想い出の山 尾瀬ヶ原
想い出シリーズ第三弾です。
2007年8月7日、
燧ケ岳に登頂した後は尾瀬ヶ原へと降りてきました。
この日の宿泊地でもある、尾瀬ヶ原の北東にある見晴の山小屋街
に着いたのはちょうどお昼の12時。
昼食を出している山小屋でカレーライスと、
ご褒美の缶ビールで乾杯。
このとき飲んだビールのうまさ、忘れられません。
燧ケ岳に登ったからこその味です。
お昼を済ませ、リュックをこの夜泊まる「桧枝岐小屋」さんに預けて
身軽になって尾瀬ヶ原を散策。
尾瀬ヶ原は木道を歩いて巡ります。
ほどなく至仏山を背に歩いてくる、ボッカさんと遭遇。
自分の背丈以上の荷物を背負って山小屋に配達するボッカさん。
テレビなどでは見て知っていましたが、
実際に逢うのは初めて。
言葉を交わすことも無く黙々と歩く姿に
私はただ見送るだけでした。
振り返ると、先ほどまでいた燧ケ岳が見えます。
この風景尾瀬でしか見られないんだよね。
本州最大の湿原、尾瀬ヶ原。
いたるところに小川が流れていました。
イワナとおぼしき魚影もたくさん見えましたよ。
池塘もたくさんあり、まわりに花や、池塘の中にも水草とその花が
たくさんあったのですが。
当時、花には興味の無かった私、写真にも撮らず
今思うと惜しいことをしたものです。
至仏山の近く、尾瀬ヶ原三又で折り返し。
空き缶やペットボトルの空を運ぶ帰り道のボッカさん。
本当に働き者で山好きなんだな~。
当時は写真にのめり込むとは思っていませんでしたが、
自然は大好きでした。
自分が美しいと思った風景を写真に残したいとは思っていましたね。
遠回りしてヨッピ吊り橋へ。
その昔尾瀬ヶ原を水源とする新潟・福島に流れていた大量の水を、
群馬県側に流れを造り関東地方に供給しようと、湿原を破壊する大々的な工事を
東京電力は計画していました。その野望は消えましたが。
その後も、尾瀬の観光客が増えたからと、
湿原のすぐ近くまで道路を造ろうじゃないかと、
自然破壊で地位を上げてきた田中角栄さんに対し、
1971年、当時の賢明な環境庁長官の政治生命をかけた判断でそれは中止になりました。
おかげで尾瀬はそのままの姿を残せたんです。
大石武一さん、ありがとうございます。
さてこの世の宿「桧枝岐小屋」へチェックイン。
この時期はニッコウキスゲの時期と紅葉の時期の真ん中で、お客さんの少ない時期。
一部屋、私のものでゆっくりできました。
四畳半の部屋は混む時は6人もの相部屋になるとか。
混雑の嫌いな私には最高の季節でした。